夢の跡

何度も何度も夢をみる。死ぬまでずっと。

一人での過ごし方 2

惰眠におぼれて夢を見る。

 

一人での過ごし方第2弾。

 

youtubeめぐり

 

好きなジャンル、ユーチューバーの発掘。

乗り物好きなら電車、バイク、自動車について動画を上げている人を見てみる。

気に入る人がいればチャンネル登録。

再生リストを投稿者が作成していれば、それを流しながら作業をしたりなど。

 

【わたくしごと】

ユーチューブの趣味趣向は幅広い。

ガチ用というより趣味用に動画見るのが私の中心。

主にイラスト関連や作業BGM

(掃除用とか曇りの日用BGMとか、結構細かくある。)

それと買おうと思っている家電製品の紹介がされていたりするので、

そういったアイテムのチェックなど。

一時は液晶ペンタブの動画をいくつか拝見。

手に入らなくても見る…!!

 

 

たまには温泉に

 

アミューズメント系温泉に行って大衆食堂で食事をしたり。

日帰り温泉でご当地の食を満喫したり。

銭湯に行って普段は買わない飲み物を飲んでまったりしたり。

サウナに入ってみたり。

普段行かない温泉に行ったり。

 

ひとくちに温泉と言っても結構あるもの。

上記のような普段はしないことをやると新鮮さが味わえる。

 

【わたくしごと】

今後私が挑戦したいことが、ひとり家族風呂。

ひろいひろい家族風呂を、貸し切り。

これ以上の贅沢はないと思えるほどの贅沢。

泳いでも変な格好をしても誰も見ていない。

 

あと、風呂で原因はともかく同性からの視線を感じる人もいるので、

(というか実際にナンパされる人もいる)

そういった人たちは家族風呂を利用するんだそう。

正直一人で家族風呂とか…ってなりますが、

入ってしまえばだれも見てないしこっちのものなので、おすすめ。

ただ土日は混むので、その場合は

おひとり様の受付をしていなことがあったり、

少しの時間だけしか入れないといった場合もあるのでご注意。

 

 

一人カラオケ

 

もう今は普通のこととなったひとりカラオケ。

かのネットカフェ「快活CLUB」では、「1&2カラオケ」という、

二人まで専用カラオケがある。

ただ休日のみ一人カラオケをお断りしている店舗もあるので、

祝日に出かける人はヒトカラOKな店舗を探そう。

 

【わたくしごと】

個人的におすすめなのがネットカフェ。

実はカラオケだけでなく本を読み放題ジュースも飲み放題、

ソフトクリーム食べ放題に、シャワーもあるので

休日を満喫するのにはすごくいい。

下手なカラオケ屋だとドリンクが高かったりする(特に地方で田舎)

 

カラオケはいいぞ。

他のメンバーに気を遣う歌を歌わなくていい。

大声で叫んでいい。(マイク使わないハンデも楽しい)

実際にひとりカラオケをやってみて寂しいと

思う人にはおすすめはできないかも。

でもやってみて、誰かと歌うカラオケの楽しさを

改めて知るいい機会となる。

 

 

今回もみっつだけ。

また気が向いたら続きかきます。

一人での過ごし方1

娯楽をむさぼり喰い尽くす。

 

仕事歴よりニート歴が長くなりました。

 

ひとり身実家暮らし、ニートが日々どんなことをしているか。

興味はないでしょうが、同志の方の日々の過ごし方、

自分の日々の記録用に書いちゃうことに。

 

図書館へ行く

近所の図書館へ本を見に行こう。

文学、漫画、経済、季節の行事について調べるのはいい息抜きに。

 

【わたくしごと】

文学を深めるのもいいけど、

社会復帰のために何故か生活や社会関係の本ばっかり見てしまう。

これがニート病の症状の一つ。

一つの大きな図書館に出かけるのもいいけれど、

たまには遠出して別の図書館に。

キャレルや季節の飾りなど、間取りの違いに新鮮さを感じる。

 

公園へ行く

音楽やラジオ、ポッドキャストを聞きながら公園を散歩。

2月は梅、4月はさくら、6月はアジサイ…と、

それぞれの季節が楽しめそうな公園を転々としても楽しい。

雨や雪ではない日に限定される。

 

【わたくしごと】

公園といえばさんぽ。

コンビニでコーヒーでも買って飲んだり歩いたり。

スケッチもしてみるが、木々だと飽きがきてしまう。

なので、道行く人の個性を見つけて、

その人の絵とその人の特徴を文字として残したりと楽しんでいる。

悪用は駄目ですよ。あくまで個人的に楽しみます。

 

ウィンドウショッピング

パリの人たちは、何度かお店に通い、心が決まったら服を買うそう。

つまり、お店に入ったら必ず買わなければいけないわけではない。

なので、“そのうち手に入れたいモノ”をあらかじめ物色しちゃいましょう。

 

『今日は絶対に買い物をする』と気合を入れず、

『今日は食事だけして、買わずに楽しむだけにしよう』

と決めてショッピングに出ると、

『今日はなにも買えなかった…時間のムダ…』と

落ち込んでしまうこともない。

 

そんな一発でほしいものが見つかるだなんてラッキーが

毎回続くものではないので、

気に入ったものがあればラッキー、なくても

次はあのショップに行こう、と次の予定を決めたり。

新作のグルメを楽しんだり。

物が手に入らなくても楽しめるので、おすすめです。

 

【わたくしごと】

ついつい長引いて体力が消耗してしまうので、残りの体力に注意。

ネットでどんなアイテムを買うのか、

ビジュアルなどのイメージを決めておくと、

お店にあればパッと目につきやすくなるのでこれもおすすめ。

 

 

 

本日はこの3つまで。

また一人で楽しめそうなものを、シリーズにして書くかも。

アウトレットモール体験記<闇>

人間の闇とか裏とか

 

人間の闇とか裏とか、気になっている。

そういうものがうごめくのは人間のいるところと金が動くところ。

 

冬の服や靴をばっさり処分して、アウトレットモールで新品を買い求めに私は遠出した。

そこでみた【闇っぽいもの】ものを偏見で語ろうと思う。

 

 

  • 【闇っぽいの】その1 何か買わなきゃ!

アウトレットモールは広い土地を確保するためか、地方に存在した。

ジャングルの奥深くまで調査隊は…ってほどにはないにしろ、田舎と呼ばれる場所に該当する場所である。

 

そうして遠くから来た客はどう思うか。

 

「せっかく遠いとこから来たんだしなにか買わないとね」

 

買わないとね

 

ね…

 

そう、ほかのブログでも挙げられていたが、遠出したのでせっかくだからと戦利品がほしくなる。

そうして必要かどうかは二の次に、何かを買ってしまうのだ。

アウトレットモールへは必ず手に入れたいをアイテムをメモし、繰り出すことをおすすめする。

 

実際、当日ショッピングして即買いというのは、自分にピッタリ合っているかどうか検討に時間をかけず失敗のリスクが高い。

しかし、いろいろ買ってみて失敗してみないとまだわからない人間なので、私きりはある程度構えて買い物をした。

 

  • どんなアイテムを買うのかメモする
  • 朝早くに行き近い駐車場に車を止める
  • ちゃんと休憩をはさむ
  • モールを2週したら買おうと思っていたものを買い帰る。
  • いいものと思えるものがなかったらお茶だけしてすぐに帰る

 

あまり完璧と言えるプランではないが、買うアイテム決め、失敗覚悟で挑んだために、服の大量買いアトラクションのようで楽しかった。

半年に一回程度ならまた楽しめそうだ。

 

 

  • 【闇っぽいの】その2 リア充蔓延

 リア充に特別な恨みはない。

しかし、覚悟はいるだろう。

きりがアウトレットモールを徘徊してわかってしまったこと。

 

リア充めちゃ多い。

 

休憩にカフェに入ればカップル、夫婦。

女性服店だが彼女の買い物についてってあげる彼氏。

さらには女性下着ショップにも彼氏がついてってあげている。

 

すごいな…

 

もちろん一人で来ている人もいたのだろう。

しかし、一人できたのではと思っていた女性が男性と合流する場面を何度も見た。

私は一人で来ているかどうかという見極めができない人間なのだ…

つまりすべてリア充なのだ…

 

恋人は募集してないし何度も言いますがリア充に偏見はありません。

ただこれ…

 

デートスポットだったんじゃねえの?

 

って感じがぬぐえない。

そんなアウトレットモール。

 

地方ってこんなもんなのかもしれない。

 

 

 

少ないが異常が個人的な意見もりもりのアウトレットモールの感想だ。

調査はまだ一回だけであるので、引き続き調査を行うことにする。

貧乏だからこそ、働く力を。

 

どうも、私はだらだらと無職を続けている者だ。

たまに親戚の畑仕事や、農産物の収穫仕事でもらえているお小遣いで何とかやってる底辺パンピーだ。

ブログでは偉そうなことを叩きつつ私はこうして親のすねかじりをする人間の一人である。

 

 

ニートになって早数年、親がだんだん心配してきた。

金の心配だ。

つまりその金とは切っても切れない「仕事に就いて働く」という心配だ。

ニート生活を続けているとぶち当たる登竜門である。

 


親としてはいつまでも成人した人間を食わせられない

というかこうしてだらだらインターネット触って遊んでいる奴に自分の働いた金を消費させたくない。

(どっちも本音だと思う)

だからなのか


「アルバイトはもうしないの?」

「ブログでもやったら?」

クラウドソーシングとかアンケートだけでもやってみなよ」

 

と言われるようになってきた。


母親はこれと言って働くことに関しては言わない。

平和。

でもたまに、ハローワークの求人冊子を無言で机に置いていく母。

アクションはそれだけ。

平和(多分)。

 

上記のセリフを言ってくるのは、父親の方なのだ。

しつこく残りの所持金を聞いてくるので、教えると「そんだけ?!」と驚かれる。

それからというもの、「自分で働く・稼ぐ」方向へ私に声をかけてくるようになった。

え?驚くくらいなら援助してよ。

 

 

私個人としては

言い訳はいくらでもあるのだが、さんざん近所のバイトでうんざりしてきたのでもうこの辺で働くのはいや。

クラウドソーシングも「Amazonレビュー高評価で○○円!」とか、「私のサイトの広告から会員登録で○○円!」とか、
人を騙すのも興味ないサイトの会員も理由なくいや。それを悪とは言わない。

ブログで稼げたら苦労しない。

もう全部にうんざり。

ここまでくると人間性の問題なのか?それとも環境の問題なのか?

ともかく働くことが人生において不必要にさえ思う。

働きたい奴が働いて、わたしみたいな社会不適合者でも生きていける世の中だといいのに。

 

 

でもその親の心配も終盤になってくると変わってきた。

「なにかしたいことがあるなら、お金出すよ」

そう、父親の羽振りがよくなってきたのである。

最近、昇進したからね。

うち兄弟めっちゃいて貧乏なのに、自分の稼いだ金家に入れず、車一台とバイク二台買ったものね。

完璧調子こいてる。私もニートとして調子こいてるのでカエルの子は何とやらというやつか?

 


金とはここまで人を変え、心に余裕を生み出すのか…

 


といっても、仕事や社会につながる生産性のある事のみに資金援助する、と断言していた。

 

ともかく、私に働いてもらって、自分が安心したいだけらしい。

金があっても、人とは心配が絶えぬものなのね。

 

羽振りがいいのに「遊びたいからお金ちょうだい」って言ってもくれないんだよね。

でもお仕事の手伝いをするとお金をくれる。

 

遊ぶ金は自己責任、仕事さえすればお金はだす、こうして人は生きていける。

ってことを示してきてるんだろうなあ、と思った次第です。

 

働いてほしい意志は伝わったのだけど、働くってどうやるの?

 

働きたくないんだけど…

 

 

関係ないけど

ホリエモンさんって働くことが純粋に好きな人なんだね。

 

好きってかそれが生きることにつながるらしいね。

 

私が生きることと同義と言える、そんなものがあったら私の世界は変わるんだろうか?

 

あなたの生きると同義の仕事、作業、活動、「ライフワーク」とはなんだろうか。

役立たずの弁明

「他にできるやつがいるならあたしができるやつになる必要なんてない」 

 
そんなふうに無意識に考えていたのはなぜだろう。
 
他にできるやつがいるなら私がする必要はない。
 
自分よりできる奴らばかりだったから、そんな環境の中で自分ができることは何だろうとずっと考えていたのかもしれない。
 
そんなことより自分がやりたいことをしてたらいいもんだし、上手い奴がいるならしなくていいなんて思わなくていい。
 
自分の希望を叶えずして他人の希望なんて叶えられるだろうか。
 
自分がいかに努力しても評価が得られなかったことの僻みなのかもしれない。
 
上手い人は評価を得ている。
 
コミュニケーションやひととの交流が好きだったり得意だったりする人たちのコミュニティをみて、それがとっても楽しそうで、その人輝いていて、すっごくうらやましかっただけなのかもしれない。
 
コミュニティ作りたいわけでもない私は、そんなふうに楽しそうに輝いている人を見てそのひとにひっついて取り込みたいと思った。
この輝きさえあれば。
 
そんなふうに勘違いしていた。
 
人が内から輝くものなんてそれぞれだ。
 
輝いている人はいっぱいいる。
ただ目に入りやすい人々がたまたまコミュニケーション上手だったりするだけで、わたしにはそれが必ず必要なわけでもないのに。
 
でも人の役に立っていないことは確かだろう。
私による私自身の評価ではそう思っている。
 
まんが「竜の学校は山の上」を読んだことがある。
その読み切りまんがの最後にもあった一文、「この世には二つのものがある。役に立つものと、役に立つかもしれないものだ」
 
こんなことばを引用して苦しい言い訳になるが、私は人の役に立っていないことは確かでも、死ぬ時まで役立たずでも、いつか役に立つ側の人間だと信じたい。
 
もっと言い訳をすると、昔の役に立たないと思われてきた人たちも現代の多様化によって、役に立つ場面が増えてきている。
 
やはり役に立つ部類の人間ではないが、きっとそのいつかはくる。
 
慰めでもいい。そう思っていたい。だからそう思う。
 
 
 
 

とはいいつつ

 
別の考えもある。
 
だって信じ続けてやっぱ違いましたって滑稽だよね。
 
全然それでもいいんだよ。
でもいろんな生き方があってもいいじゃないか。
 
役に立たないことをぞんぶんに受け入れて生きていくことも役立たずの克服には必要だ。
 
そうしなければ役立たずを抜け出すことなんてできない。
 
憧れを見つめていてもその憧れ以上になるどころか憧れ以下で止まるだろう。
 
だから、まずは自分の現状をしっかり見つめたい。
 
いっそ役立たずだと受け入れて生きていくことは勇気がいるが、自由が広がることなんじゃないだろうか。
 
誰かに期待をかけられない、責任を気にしなくていい。とっても自由だ。
 
フラフラ生きることがマイナスだと感じるのならどんなふうに生きていくか考え直した方がいいけれど、私は別にそんな生き方もじゅうぶんアリだと思う。
 
役立たずでも生まれたからには生きていく方法なんていくらでもあるんだから、人に期待をかけられない、自由な日々を過ごそう。

自分解剖

特に目的もないので自分を解剖しようと思っている。

 

 自分が何かしたいかわからず、ただ単に金に困っているのもあり、よくある

 

 「適職診断」

 「あなたにぴったりの資格」

 「占いから見るあなたの目的」

 

 などの占い系や適職をさがすサイトを堂々巡りしている。

 

 堂々巡りは願いを叶えるために行われていたとかいうけれど、願いは叶ったのかと言われれば……微妙。



 なんで自分解剖をしようと思ったのか。

 

 理由を挙げるとすればただの興味本位である……といいたいところだけれども……

 正直な話、ただ路頭に迷っている。

 

 アルバイトはしていたものの腹痛の頻発からやめた。だったらできることはなんだろう?そもそも、やりたいことというのがない。

 

 今世の中は、やりたいことがないとダメというわけではないけれど、それを忠実に追いかければ夢は叶うとどこでも言われているように思う。

 

 「ただ、自分のやりたいことだけ、やりたくないことは別の得意な人に任せられるようになろう。」

 

 単に自分がそういうサイトばかり巡っているということもあるが、よくこういった文をみかける。

 

 では、追いかけたいものがない人はどうしたらいいのだろう?

 

 こういったことを他人に聞いて決めようと思うことさえも、自分のことを決められない人間性が出ているが、とにかく調べてみた。

 

 「とにかく何でもやってみろ」

 「私と相談して決めよう→メールアドレスはこちら」

 

 と言われても、相談して決めたいわけでもなく、やりたいことがない人はいったいどう生きているのかというサンプルが欲しかった。

 

 そんな具合で、具体的なものは見当たらない。

 

 それも当然かもしれない。自分のしたいことなんて誰かに聞くことでも決めてもらうことでもない。自分で決めるものだ。自分の面倒は自分で見るもの。

 

 ……なーんて言われれば、私はもうどうしたらいいのかわからない。

 ずっと「私は、私は……」と考えてきた。そのわりに自分のことをよく知らない。自分のことばかりで他人のことを少しは考えろとも言われるかもしれない。でも、まずは自分のことを知らないと、誰かと接することさえも今わからない状態だ。

 

 なんだろう?自分のことを知るための手法がどこか間違えていただろうか?自分を知るという作業さえ間違っているのだろうか。

 

 友達ナシ。仕事なし。特技なし。やりたいことなし。とりあえず取り柄ナシ。

 

 自分でも笑えるくらいになにも持ってはいないことに気が付いた。

 そもそも、自分のことは自分で決めていいということさえも最近知ったことだ。

 

 だから迷っている。

 

 というものの、世で言われているバックパッカーになり何かを見つけようとする気力もない。

 

 でもずっとずっと知りたかったことがある。

 

 目を避けてきたことがある。

 

 不気味がられてずっと抑えていたものがある。

 

 それは人間のことだ。

 

 人間の奥深い闇と、人間が希望としている光。



なにそれ



 私も何それって思う。

 

 説明するのが難しいので、実体験を記す。

 

 ・家族が今日あったことを話しているとき。

 「友達がこんなドジしちゃったんだよ~面白いよね。」

 と言われると、その今日あったオチよりも後日談が気になり

 「その後どうなったの?」

 と聞き出す。

 でも話したかった面白い話は先ほど話したことであって、後日談はその人にとって重要なものではないから、「さあ」とか「こんなことがあったよ」と大雑把に報告される。

 

 

 私が気になってしまうのは、このような「事件」を引き起こした後、人はどんなふうに行動するのだろう、などの行動の詳細だ。

 

 あとほかにも、ゲームの魔王はどうして世界を欲しがるの?とか、犯罪者はどうして人を殺したり盗んだりしたいんだろう?見るからにメリットなんてないのに。

 

 そんなことばかり考えて生きて、しかもそれを人に聞いたりした。

 

 でも人はそんな話はしたくないようで、いつもいつも納得のいくような返事をもらったことがない。

 

 私はそういった犯罪者などの持っている悪意を理解できなかった。謎だった。

 そして悪意もわからない分、人が行う善意もよくわからなかった。

 

 どうしてありがとうと言うのだろう?

 

 言われたら嬉しいから。

 

 多分、それだけでいいものなのかもしれないが、そこからさらに「ありがとうはどうしてうれしいと思わせるんだろう?」

 

 そんなことばかりが疑問として残る。

 

 だけれど、こういったことを聞いても真面目に返答が来ないどころか、人の悪意の質問をすると、「二度とそんなこと言うんじゃない」といった釘まで刺された。

 

 大人になってわかったことだが、聞いたらいけないタブーだとか、人のトラウマだとかに疑問を抱いてそれをズケズケと聞いていたのだと理解はしている。

 

でも謎だ。

 

 自分にもある悪意と善意は、どうしてこうも人と違うのだろう。

 

 どうしてこんなに様々な感情があるんだろう。

 

 別に心理学者になりたいわけでもないが、今日まで日々そんなふうに思っては、思うだけで思考停止をする日々だった。

 

 というわけで本格的に解明していきたい。

 

 親や大人の束縛で私には自由がないと勘違いしてきていた。

 

 あれやってはいけない。これやってはいけない。

 

 それさえも自分で決められるものなんだと最近気づいた。

 

 人に制限なんてない。もちろん法に触れるようなことは避けないと人生難易度揚がるけどね。

 

 だから思う存分やるんだ。

 

 親や大人に隠れてこうして記事を書いている時点で臆病丸出しだけど、自分の思ったことくらい吐き出したい。

 

 その悪意は、善意は、私にいつだって感動を与えてきたものだから。

 

 

 

 

 ……あと文章力の向上も願いたい。

喧嘩に怯える人は喧嘩を引き起こす

真実ってなんだろう。

 

今日も目の前で夫婦喧嘩がおきている。

 

それをなだめる姉2。

 

うざったく見る姉1。

 

喧嘩の発端はうちの末弟の修学旅行のお迎えを、どちらがするかだ。

 

母は父に、

「迎えに行ってくれない?」

というと、父は

「えー、忙しいのに」

と文句を言った。

 

といいつつも、父は車を出して迎えに行く。

 

母はというと、迎えに行ってくれなさそうと思い、彼が車を出したのに気が付かず自分も車を出す。

 

そして母は迎えに行ってくれそうになかったから行ったのに!とプリプリ怒る。

 

それに父はひょうひょうと答える。

「迎えに行かないなんて言ってないじゃん」

 

どっちもどっちだなあ。

 

だけど、母ももっとしっかりすればいいのにと思う。

 

父の忙しいという態度に、

行くの、行かないの?

行かないならわたしが行くから!

 

とはっきり言うなら良かったのに。

 

もしくは二人とも迎えに行ったら行ったでなーんだ二人できたのねってお互い笑えばいいのに。

 

喧嘩よくする人は、喧嘩を起こしたくないゆえの控えめな行動(お願い)によってはっきりした意見を言わず、それで相手に意思が伝わらず、あとで「なんでわたしの気持ちをわかってくれないんだ」と怒る。

 

だったらはっきり言ったら良かったのに。

 

たらればだね。