夢の跡

何度も何度も夢をみる。死ぬまでずっと。

悪口言われる。傷付く。傷付くのも、悪いこと?

傷つくことが、悪いことだと思っていた。

心が傷つけられると、体が縮こまる。

弱くなる。

泣いてしまう。

怒って後悔してしまう。

恥ずかしい。


泣くと家族には面倒くさがられていた。

どう対応したらいいのかわからなくなってか、みんなどこかへ行ってしまう。

泣いて面倒な人間はみんないらないんだ。

嫌いなんだ。

ずっとそう思ってた。


そのくらいで嫌いになったりなんてしない。

ただまあ、面倒くさがられるだけで終わるんだろうなと思う。

案外みんな気にしていない。

でも心配はしている。

悪いことだと思っていても、それは自分だけかもね。


なんでいきなりこんなタイトル

ブログでは誹謗中傷当たり前。

好きなことしてたらなおさら。

あるいはうらやましいと思う人が。

あるいはだれでもいいからむしゃくしゃを発散したい人。

当たり前と思っていても、受け取り方は人によって違う。


ていうか、泣かない人、傷付かない人はかっこいいと勘違いしていた。

実際には、そういう人はロボットみたいに感情が動かない人か、傷付くことに慣れてしまった人なんだと思う。

人から悪口を言われて泣く人はかっこ悪いと思っていたので、自分でもできるだけ泣かないようにしてきた。

軽い悪口を本気で受け止めて泣きわめいて傷ついて、そんなのただのおバカがやることだと思ってた。


でも実際には違うと感じ始めている。


むしろ人前で泣くのがかっこ悪かろうが、素直に泣けるのは、私みたいに臆病な気持ちがないからだ。

思い切り自分を打ち開いて、だから悪口がガツンと心にくる。

そして開かれた自分の心を強すぎるほど表現する。

それに強く感動する人もいれば、強く否定する人もいるだろう。

でもずっと誰かの反応をもらっているその素直な存在は、つまり常に誰かと繋がって生きている。


我慢しすぎは良くない

泣け!怒れ!と強く主張するつもりはない。

でも少しの表現が、きっとあなたを助ける。

我慢しすぎると、やがてそれをみた周りは、この人のことがわからないと離れてしまうかもしれない。

ギチギチの我慢によってつなぎとめられる人間関係を得るくらいならひとりで生きたいと思うくらい。

自分の感情を押し殺すのは自分の存在を消してしまうことになる。

誰かのために泣くのや怒るのを我慢しても、それではただの都合のいい人間だ。

自分自身の意思で生きていきたいと思うのなら、私たちは誰かと繋がるために感情を出す必要がある。


だからと言って、いいことなんだろうか?

傷付くことが、陰口を言うことがいいことだろうか。

私は、傷付いてしまっても素直でいることは自分自身の確立と自由のためには必須だと思っている。

だから私は素直な人に憧れている。

かっこ悪く見えて、みっともなくて、泣きわめいて、きっと周りからは私が思っていたことを言う人もいるだろう。

泣いてかっこ悪いって。

でも、他人の感情が今どう思っているのかがわかると安心する。

わからないひととは、接しにくいから。


陰口悪口、これはできるだけ言わないようにしているが…

うっぷんをためておけるほど善人聖人ではない。

むしろそんな完璧な人間は御免だ。

きっとなにかを守るために私は悪口を使う。

自分の心。

だれかのプライド。

悪口を言って、自分の意見を言うことは必要だと思う。

でも、うその悪口は自分の本当の意見ではないから、どうして嘘の言葉が出てしまうのか、本当のところはどう思っているのか考えるべきだ。


なかなかまとまらないけど

傷付くことも悪口も、いい悪いがあるけれど、自分自身の本当の主張を押し殺すことはだめだ。

自分を言うこと、行うこと。

それを辞めては自分を失ってしまうから、生きていきたいのなら主張をしてほしい。

主張によって人が離れたり、怒られることを恐れては、自分をやめてしまうことになるだろう。

それによって離れていく人は、あなたの主張を気に入らない、あなたのことを見ていなかっただけの話だ。

そんなつまらない人間といるより、自分の主張に反応してくれる人といた方がもっと、らしい人生を歩めるだろう。


とりあえずは、自分の現状を受け入れるところから。

自分は弱いところ強いところがあるということ。

どうしたって人生つらいことたのしいことはどちらも当たり前にあること。

どうせおとなしくしてても悪く言われるのなら、もう悪く言われたって我慢をしないと自分を解放して、好きな人生を歩むこと。

それを許すこと。


他人を受け入れるより、嫌なことを受け入れて我慢し続けるよりは自分のこと受け入れよう。許そう。

とりえあずはそれから。

それから次のことにすすめばいい。

そしたらそのうち、他人も受け入れられて、自分の主張を怖がらなくなる。

自分のことを大切にしすぎないように、自分がへこたれてたら大切に。

何より愛してほしい。


わたしは

なんかかっこいいこと言おうしてるけど、実践中なんだよね。

くっそくやしいとき泣きたい。切れまくって暴れたい。

でも反射的にストップがかかる。

主張できてねーじゃねーかって話だわい。


だから少しずつ、いまはそのストップをはずしている。

最近増えたのは「いや」って言うことくらい。

いやだってこと言うとき、けっこう気合入れてる。

言ったあとなんて手がさっと冷えてちょっとめまいがする。

でも相手はみんな思ったより優しかった。

じゃあこっちは?なんて言ってくれる人がいる。

ごりごりな提案してこれどう?って言ってた人は「いや」って言うと、特別機にした様子もなく話を続ける。

言われた人たちの心境を知ることはできないけど、もしかしたらいやって主張、みんなのまわりには普通にあふれていることなのかなってすこしずつだけど、観察することができた。


人間関係いやすぎて一年ぐらいPCと向かい合って出かけるのは必要なものの買い物くらい。

でもそろそろ人と分かり合いたいとおもって、最初に心がけたのが受け入れと主張だった。

そんなふうに実感があるから、記事を書いてみました。

人を恐れている人の、少しの参考にでもなったらいいな。