人生解剖。

矛盾や深い考えを見つけつつも、その答えってなんだろう。と思う、なんでなんでの駄々っ子のおしゃべり。のんびりが大好き。

自分解剖

特に目的もないので自分を解剖しようと思っている。

 

 自分が何かしたいかわからず、ただ単に金に困っているのもあり、よくある

 

 「適職診断」

 「あなたにぴったりの資格」

 「占いから見るあなたの目的」

 

 などの占い系や適職をさがすサイトを堂々巡りしている。

 

 堂々巡りは願いを叶えるために行われていたとかいうけれど、願いは叶ったのかと言われれば……微妙。



 なんで自分解剖をしようと思ったのか。

 

 理由を挙げるとすればただの興味本位である……といいたいところだけれども……

 正直な話、ただ路頭に迷っている。

 

 アルバイトはしていたものの腹痛の頻発からやめた。だったらできることはなんだろう?そもそも、やりたいことというのがない。

 

 今世の中は、やりたいことがないとダメというわけではないけれど、それを忠実に追いかければ夢は叶うとどこでも言われているように思う。

 

 「ただ、自分のやりたいことだけ、やりたくないことは別の得意な人に任せられるようになろう。」

 

 単に自分がそういうサイトばかり巡っているということもあるが、よくこういった文をみかける。

 

 では、追いかけたいものがない人はどうしたらいいのだろう?

 

 こういったことを他人に聞いて決めようと思うことさえも、自分のことを決められない人間性が出ているが、とにかく調べてみた。

 

 「とにかく何でもやってみろ」

 「私と相談して決めよう→メールアドレスはこちら」

 

 と言われても、相談して決めたいわけでもなく、やりたいことがない人はいったいどう生きているのかというサンプルが欲しかった。

 

 そんな具合で、具体的なものは見当たらない。

 

 それも当然かもしれない。自分のしたいことなんて誰かに聞くことでも決めてもらうことでもない。自分で決めるものだ。自分の面倒は自分で見るもの。

 

 ……なーんて言われれば、私はもうどうしたらいいのかわからない。

 ずっと「私は、私は……」と考えてきた。そのわりに自分のことをよく知らない。自分のことばかりで他人のことを少しは考えろとも言われるかもしれない。でも、まずは自分のことを知らないと、誰かと接することさえも今わからない状態だ。

 

 なんだろう?自分のことを知るための手法がどこか間違えていただろうか?自分を知るという作業さえ間違っているのだろうか。

 

 友達ナシ。仕事なし。特技なし。やりたいことなし。とりあえず取り柄ナシ。

 

 自分でも笑えるくらいになにも持ってはいないことに気が付いた。

 そもそも、自分のことは自分で決めていいということさえも最近知ったことだ。

 

 だから迷っている。

 

 というものの、世で言われているバックパッカーになり何かを見つけようとする気力もない。

 

 でもずっとずっと知りたかったことがある。

 

 目を避けてきたことがある。

 

 不気味がられてずっと抑えていたものがある。

 

 それは人間のことだ。

 

 人間の奥深い闇と、人間が希望としている光。



なにそれ



 私も何それって思う。

 

 説明するのが難しいので、実体験を記す。

 

 ・家族が今日あったことを話しているとき。

 「友達がこんなドジしちゃったんだよ~面白いよね。」

 と言われると、その今日あったオチよりも後日談が気になり

 「その後どうなったの?」

 と聞き出す。

 でも話したかった面白い話は先ほど話したことであって、後日談はその人にとって重要なものではないから、「さあ」とか「こんなことがあったよ」と大雑把に報告される。

 

 

 私が気になってしまうのは、このような「事件」を引き起こした後、人はどんなふうに行動するのだろう、などの行動の詳細だ。

 

 あとほかにも、ゲームの魔王はどうして世界を欲しがるの?とか、犯罪者はどうして人を殺したり盗んだりしたいんだろう?見るからにメリットなんてないのに。

 

 そんなことばかり考えて生きて、しかもそれを人に聞いたりした。

 

 でも人はそんな話はしたくないようで、いつもいつも納得のいくような返事をもらったことがない。

 

 私はそういった犯罪者などの持っている悪意を理解できなかった。謎だった。

 そして悪意もわからない分、人が行う善意もよくわからなかった。

 

 どうしてありがとうと言うのだろう?

 

 言われたら嬉しいから。

 

 多分、それだけでいいものなのかもしれないが、そこからさらに「ありがとうはどうしてうれしいと思わせるんだろう?」

 

 そんなことばかりが疑問として残る。

 

 だけれど、こういったことを聞いても真面目に返答が来ないどころか、人の悪意の質問をすると、「二度とそんなこと言うんじゃない」といった釘まで刺された。

 

 大人になってわかったことだが、聞いたらいけないタブーだとか、人のトラウマだとかに疑問を抱いてそれをズケズケと聞いていたのだと理解はしている。

 

でも謎だ。

 

 自分にもある悪意と善意は、どうしてこうも人と違うのだろう。

 

 どうしてこんなに様々な感情があるんだろう。

 

 別に心理学者になりたいわけでもないが、今日まで日々そんなふうに思っては、思うだけで思考停止をする日々だった。

 

 というわけで本格的に解明していきたい。

 

 親や大人の束縛で私には自由がないと勘違いしてきていた。

 

 あれやってはいけない。これやってはいけない。

 

 それさえも自分で決められるものなんだと最近気づいた。

 

 人に制限なんてない。もちろん法に触れるようなことは避けないと人生難易度揚がるけどね。

 

 だから思う存分やるんだ。

 

 親や大人に隠れてこうして記事を書いている時点で臆病丸出しだけど、自分の思ったことくらい吐き出したい。

 

 その悪意は、善意は、私にいつだって感動を与えてきたものだから。

 

 

 

 

 ……あと文章力の向上も願いたい。