人生解剖。

矛盾や深い考えを見つけつつも、その答えってなんだろう。と思う、なんでなんでの駄々っ子のおしゃべり。のんびりが大好き。

役立たずの弁明

「他にできるやつがいるならあたしができるやつになる必要なんてない」 

 
そんなふうに無意識に考えていたのはなぜだろう。
 
他にできるやつがいるなら私がする必要はない。
 
自分よりできる奴らばかりだったから、そんな環境の中で自分ができることは何だろうとずっと考えていたのかもしれない。
 
そんなことより自分がやりたいことをしてたらいいもんだし、上手い奴がいるならしなくていいなんて思わなくていい。
 
自分の希望を叶えずして他人の希望なんて叶えられるだろうか。
 
自分がいかに努力しても評価が得られなかったことの僻みなのかもしれない。
 
上手い人は評価を得ている。
 
コミュニケーションやひととの交流が好きだったり得意だったりする人たちのコミュニティをみて、それがとっても楽しそうで、その人輝いていて、すっごくうらやましかっただけなのかもしれない。
 
コミュニティ作りたいわけでもない私は、そんなふうに楽しそうに輝いている人を見てそのひとにひっついて取り込みたいと思った。
この輝きさえあれば。
 
そんなふうに勘違いしていた。
 
人が内から輝くものなんてそれぞれだ。
 
輝いている人はいっぱいいる。
ただ目に入りやすい人々がたまたまコミュニケーション上手だったりするだけで、わたしにはそれが必ず必要なわけでもないのに。
 
でも人の役に立っていないことは確かだろう。
私による私自身の評価ではそう思っている。
 
まんが「竜の学校は山の上」を読んだことがある。
その読み切りまんがの最後にもあった一文、「この世には二つのものがある。役に立つものと、役に立つかもしれないものだ」
 
こんなことばを引用して苦しい言い訳になるが、私は人の役に立っていないことは確かでも、死ぬ時まで役立たずでも、いつか役に立つ側の人間だと信じたい。
 
もっと言い訳をすると、昔の役に立たないと思われてきた人たちも現代の多様化によって、役に立つ場面が増えてきている。
 
やはり役に立つ部類の人間ではないが、きっとそのいつかはくる。
 
慰めでもいい。そう思っていたい。だからそう思う。
 
 
 
 

とはいいつつ

 
別の考えもある。
 
だって信じ続けてやっぱ違いましたって滑稽だよね。
 
全然それでもいいんだよ。
でもいろんな生き方があってもいいじゃないか。
 
役に立たないことをぞんぶんに受け入れて生きていくことも役立たずの克服には必要だ。
 
そうしなければ役立たずを抜け出すことなんてできない。
 
憧れを見つめていてもその憧れ以上になるどころか憧れ以下で止まるだろう。
 
だから、まずは自分の現状をしっかり見つめたい。
 
いっそ役立たずだと受け入れて生きていくことは勇気がいるが、自由が広がることなんじゃないだろうか。
 
誰かに期待をかけられない、責任を気にしなくていい。とっても自由だ。
 
フラフラ生きることがマイナスだと感じるのならどんなふうに生きていくか考え直した方がいいけれど、私は別にそんな生き方もじゅうぶんアリだと思う。
 
役立たずでも生まれたからには生きていく方法なんていくらでもあるんだから、人に期待をかけられない、自由な日々を過ごそう。